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太田忍プロジェクト
:月刊NGC表紙集
月刊NGC:表紙の変遷
月刊NGCは、某高校地学部の同期仲間が作った、星見サークルの会報です(でした(泣))。
しかし表紙がいみじくも表しているように、その中身は天文関係に全く囚われない自由奔放なもの。
今は休刊状態ですが、手作り感覚のこうしたモノは、いつかまた復活させたいです。
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印は私の特に気に入っているもの。
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No.0(1985年12月号)「ボーリング」
画:太田忍
プレ創刊号は、イラストはフィクションだが、スコアは某知人の出したものを借用。
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No.1(1986年01月号)「ももこ、うさぎの耳になりたい」
画:上野美樹
記念すべき創刊号の表紙は、いきなり部外からのイラスト。描いた本人は特に菊地桃子が好きとかそーゆーのではないと思う。
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No.2(1986年02月号)「XLR250R」
画:安島聡
バイク所有者による入魂のイラスト。ロゴが別字体なのは、実は本文の記事と連動している為。
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No.3(1986年03月号)「デトマソパンテーラ」
画:太田忍
エンジンは米製かも知れないが、やっぱイタ車でしょ。この時フェラーリの318も描いたが、本人の意思でボツ。
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No.4(1986年04月号)「恋したら騒がしい風が吹き、はぐれそうな天使が、私のまわりであわててる」
画:久地岡真弓
初期の頃は部外の方に表紙をお願いするように努力していた。でも実は私、この方が誰のどんな関係だったか未だに知らなかったりする。
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No.5(1986年05月号)「RRセルボ」
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画:太田忍
健介先輩が乗っていたセルボ。パワステなんて要らないし、元気がいいので、みんなのお気に入りだった。
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No.6(1986年06月号)「電算室」
画:太田忍
当時通っていた大学の電算室にあったFACOM。‥‥というよりは、プリンターの絵なんだが。
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No.7(1986年07月号)「バイク諸元表」
構成:太田忍
だんだん掟破りを試みてくる。これは、GFとVTとXLRの諸元をそのまんま転記したというシロモノ。わざわざ大手町の自動車図書館に行って調べた。
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No.8(1986年08月号)「俺達は天使だ!」
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画:太田忍
まぁ、見ての通り。中学時代に取っておいた資料が役だったという例。季節を意識してアレンジしてあるにはある(笑)。
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No.9(1986年09月号)「GF250」
画:太田忍
健介先輩が乗っていた、スズキのマルチを代表していたバイク。当時NSR等と高回転型ユニットの競争をしていた。そして‥‥。
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No.10(1986年10月号)「GF250廃車編」
画:太田忍
秦野の国道で左折巻き込みに遭い、ドハデに事故ってあえなく廃車。本人は全然平気で、事故成金となり、次のバイクへ。
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No.11(1986年11月号)「ジムニー」
画:太田忍
スモールクロカンスタイルに憧れていて、描いたもの。でも買う気は全然しなかった(笑)。
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No.12(1986年12月号)「シュプール on クリスマスツリー」
画:太田忍
当時大ちゃんが指摘していたように、ターンの特徴をうまく表せていないのが今となっては口惜しい。
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No.13(1987年01月号)「初日の出」
画:太田忍
干支を意識しているのがお解りいただけるだろうか?(笑)
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No.14(1987年02月号)「女性素描 by デジタル」
画:太田忍
8801用のマウスを買って、嬉しくて描いた1枚。タブレットが普及するまでは、みんなマウスを握っていたのだろうなぁ。
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No.15(1987年03月号)「YZ250」
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画:太田忍
オフローダーは動きもデザインも乗ってる人もみんなハデで絵になる。これ以降、ほとんどピグマを常用ペン代わりとする。
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No.16(1987年04月号)「達磨山の江澤さんと萩原さん」
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画:太田忍
達磨山は、入笠山と並んでNGCの常連合宿スポット。女性メンバーも2人になって、がぜん理性的になっていった(と思いたい)。
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No.17(1987年05月号)「国道20号終点」
画:太田忍
LOVEⅢで1日474km走行したのは、20号制覇の為であった(当時の記事に詳細をレポート)。この記録、いつか破りたい。
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No.18(1987年06号)「さよならXLR」
画:太田忍
またしても去っていく、NGCの車両‥‥。海岸で自立する姿は涙を誘う(笑)。会報は単色コピーなのだが、ここでは特別にカラーで公開。
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No.19(1987年07月号)「セルボ廃車編」
画:太田忍
ああ、そしてまた‥‥。ツブしたのは今のウチの奥さんだが(笑)。横浜新道で白煙をあげたとか‥‥。
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No.20(1987年08月号)「薬師寺東塔」
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画:太田忍
五重の塔よりも、こっちの方が美しいと思う。夏休みに母方の田舎行ってて、あまりに暇で、描いたもの。
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No.21(1987年09月号)「cute廃車編」
コラージュ:太田忍
今のウチの奥さんが当時所有。保土ヶ谷駅のそばの辻で、乗用車とゴッツンコして廃車。本人も痛かったらしい。
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No.22(1987年10月号)「日食の写真」
撮影:不祥
多分自分で撮ったヤツだと思う。違うかな? 余ったミニコピーで記念撮影とかして遊んでた。
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No.23(1987年11月号)「鈴鹿サーキットコース図」
画:太田忍
F1見に行って、嬉しくて描いた。この号で一旦休刊してしまう。
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No.24(1993年03月号)「復活!」
画:太田忍
安島新編集長宅で殴り描いた、復活記念号の表紙。落ちていくようにも見える(笑)。
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No.25(1993年04月号)「バザールでござーる」
画:太田忍
一応春っぽい絵を、という事で(笑)。この号には、別冊付録もつけてあり、そちらの表紙はオールデジタルに初めてなった(が、手元にないぞ)。
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No.26(1993年05月号)「スキーing今田先輩」
作成:太田忍
9801に、フレームメモリーボードとビデオキャプチャーボードを積んで、素材入手経路の拡張を図る。Windows普及前で、このシステムはちょっと自慢だった。
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No.27(1993年06月号)「ベンチマーク結果」
作成:安島聡
久々に私のかんでない表紙。当時466DX/66は最速であった。このあたりから、安島編集長が印刷課を兼ねている。
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No.28(1993年07月号)「上野夫妻誕生」
作成:太田忍
自分の結婚式をも堂々と表紙に使う柔軟な感覚(笑)。
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No.29(1993年08月号)「ワラビーと美和子さん」
作成:太田忍
前号に引き続きビデオカメラを通した作成なのだが、日付を消し忘れているのは愛嬌なのかワザとなのか。新婚旅行でのひとコマ。
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No.30(1993年09号)「けんどうん」
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画:太田忍
作成はカラーで、探せば画像ファイルある筈。カラーなら、もっとケン・ドーンらしく見えるのだが。
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No.31(1993年10月号)「トライアンフ・トライデントT150V」
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画:太田忍
しばらくデジタルでラクして作ってると、フっと手書きをしたくなる。トライアンフは排気音がカッコエエんだよねぇ。
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No.32(1993年11月号)「ルパンⅢ世」
作成:太田忍
これ、当時誰も出典をわかってくれなかったんだよねー。見てなかったのかな、1作目のTVシリーズ。
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No.33(1993年12月号)「でんこちゃん」
画:太田忍
出た、企業シリーズ(笑)。当時健介先輩がくれたグッズ(埃拭きかなんかだった)を元に描いた。
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No.34(1994年01月号)「スキーで干支」
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コラージュ:太田忍
このアイデアで毎年やろうかな、と考えたりもした(笑)。素材となったみんなからは「こんなヘタなポーズ使わないでよぉ」って言われた。うまいじゃん、みんな‥‥。
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No.35(1994年02月号)「高秀横浜市長と和泉ちゃん」
作成:太田忍
奥さんの妹さんが市のパンフレットかなんかに登場してたんで、採用。
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No.36(1994年03月号)「大雪後の保土ヶ谷公園」
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作成:太田忍
当然、スキーでしょ。近くの公園でスキーしよ、って言って誘っても出てこない奥さんの友達を「かまくら作ろう」と言葉巧みに誘い出して、こうなる。今田先輩のソリも活躍。
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No.37(1994年04月号)「KX500」
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画:太田忍
やはりオフロードバイクを描きたくなって、これ。手間かかった‥‥。
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No.38(1994年05月号)
画:安島聡
記事にて「コンビニラリー」を企画し、そのゴール付近の案内地図を編集長直々に描いてもらう。この企画、ホントよく出来たルールなんだが‥‥。
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No.39(1994年06月号)「STS-65(コロンビア)」
作成:太田忍
元画像はNASAから。多分これ、向井さんが最初に乗ったヤツ。
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No.40(1994年07月号)「シューメイカー・レビー彗星の木星衝突」
作成:太田忍
これもNASAより。インターネットを社内で使ってる人もあまりいなく、部内のワークステーションにモザイクをインストールしてブラウズしてた。
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No.41(1994年08月号)「地学部部室」
作成:太田忍
ここから「貴重な映像シリーズ」になる(笑)。NGCの原点たるこの部室があったプレハブも、ずいぶん前に取り壊された。
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No.42(1994年09号)「カリーナGT-R」
作成:太田忍
私がスカイラインの前に乗っていたクルマ。とにかく4A-GのFRの4ドアが欲しかった(ってコレしかないのだが)。このあたりで印刷課の役目が帰ってくる。
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No.43(1994年10月号)「カローラ5ドア1.5ZX」
作成:太田忍
今田先輩の最初のクルマ。積載性があったので、ずいぶん重宝させられた。この写真はNo.22の日食観測ん時に保土ヶ谷公園でミニコピーで撮影したもの(なんで、えらいハイコントラスト)。
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No.44(1994年11月号)「ジェミニ1800クーペ」
作成:太田忍
安島家のクルマ。この後、FFジェミニに乗り換えられる。NGCで一番古く関わっている部類のクルマになろう。
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No.45(1994年12月号)「GPX250とLOVEⅢ」
作成:太田忍
健介先輩がGFの次に乗ってたGPXと、私の当時の愛機LOVEⅢのツーショット。これは甲府市内のラーメン屋の駐車場と思われる。確か竜王あたりの20号上でばったり会ったという(笑)。
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No.46(1995年01月号)「や!! おめでたい」
作成:太田忍、元画:中島らも
かねてっちゃんを大きくフィーチャーしためでたい表紙。年賀状にも使ったな、コレ‥‥。
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No.47(1995年02月号)「南房総でのNGCメンバー」
作成:太田忍
ハレー彗星を見にいった時の記念写真より。左から、福岡、安島、岡本、田中、今田。という事は撮影は私だろう。No.18のXLRと同じ日と場所である。
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No.48(1995年03月号)「健介先輩 on コーヒーカップ」
作成:太田忍
後楽園遊園地でのひとコマ。手前の同乗者は何を隠そう私なのだが、肖像権保護の為にモザイクがかかっている(笑)。撮影は多分ウチの奥さん。
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No.49(1995年04月号)「今田夫婦誕生」
作成:太田忍
結婚式会場となったホテルでのスナップ(というよりは、Hi8ムービーからキャプチャ)。いやホント、幸せそうな顔だわな。
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No.50(1995年05月号)「ケーキカットする今田夫婦」
作成:太田忍
2次会でのスナップ。ケーキは安島先輩の手製。何よりこの会では、大ちゃんとBGMの曲作りをしたのが最高に面白かった。後ろの垂れ幕(?)は「メカミーコ」にも出てきますな。
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No.51(1995年06月号)「マークⅡカムリ」
作成:太田忍
福岡家が以前乗っていたクルマで、安島家旧ジェミニと同じくらいNGCにとって古い時代の関わりを持つ。初音ヶ丘にて、私が撮影のものと思われる。
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No.52(1995年07月号)「XS」
作成:太田忍
車歴の多い健介先輩でも、スポーツタイプでないのはこれくらいか。これでも平気で入笠とかに登ってしまう。この写真は確か富士見駅前でのショット。
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No.53(1995年08月号)「JOG」
作成:太田忍
今田先輩の初代スクーター。伊豆半島など、結構遠出を経験している。この写真は聖天堂でのもの。
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No.54(1995年09月号)「ガンマ50」
作成:太田忍
岡本先輩の初代バイク。このバイクも色んなところへ行ってる筈。この写真は前々号と同一場所でのショットと記憶している。
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No.55(1995年10月号)「cute」
作成:太田忍
ウチの奥さんの初代スクーター。つまり、No.21でブっ飛んでいるヤツ(笑)。富士5号目までも元気に登った経験有り。この写真は保土ヶ谷公園でのもの。この号で休刊状態に再突入、現在に至る。
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ボツ表紙その1「月刊NGCのテーマのスコア」
作成:太田忍
実は「太田忍プロジェクト」のページに置いてあるMIDIファイル「タイプ2」は、この主メロディーが入っていない(爆)。私が解釈したコードを、QY20のサンプルパターンでバッキング演奏させているだけなのである。是非、この譜面で美しいメロディーをなぞって欲しい。
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ボツ表紙その2「FZR750」
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画:太田忍
これはボツ原稿というよりは、休刊になってしまったが為に「未使用」となっている絵である。ちなみに画材はシャーペン(笑)。アホや。